筑後川にそびえる、東洋一の可動式鉄橋
うららかに晴れ渡った3月のある昼下がり、私はふと思いついて九州道を北に車を飛ばした。八女ICからおよそ30分、たどり着いたのは、インテリア産業と古賀メロディのふるさととして知られる大川市。以前、読者から一枚の写真を貼り付けたハガキをいただき、ある特殊な橋がこの町あること知り、一度この目で見てみたいと思っていた。その橋の名は「筑後川昇開橋」。筑後川の河口に程近く、目の前にそびえる真っ赤な姿と青い空との美しいコントラスト。まさに“東洋一の昇開式可動橋”と呼ぶにふさわしい勇姿である。
戦前、この昇開橋が架かる以前の大川市と対岸の諸富町(現佐賀市)を結んでいたのは、唯一渡し船だけだった。陸路、長崎・佐賀方面から熊本方面に人や物資を運ぶには鳥栖を経由するしかなかった。そんな状況を打破するため計画されたのが、長崎本線佐賀駅と鹿児島本線矢部川駅(現瀬高駅)を結ぶ佐賀線である。一番の難所は、大小の船舶が往来する筑後川。そこで、航行する船舶を妨げずに鉄道を通すために採用されたのが、橋桁がエレベーターのように昇降する昇開橋である。この方式の橋なら、船が通る時に橋桁を上げれば鉄道の敷設が可能だった。
昭和10年、架橋とともに佐賀線は営業を開始。昇開橋の活躍で、佐賀線は肥後・筑後と佐賀を結ぶ大動脈として大きな役割を果たした。しかし高度経済成長後、モータリゼーションの波には逆らえず、昭和62年、佐賀線は廃線。昇開橋も鉄橋の役目を終えた。しかし大川市・諸富町両岸の住民や全国の鉄道ファンなどにより、地域のかけがえのないシンボルであるこの橋を存続させよういう機運が高まり、平成8年、かつての鉄道橋は、「筑後川昇開橋遊歩道」として整備され、現在に至っている。
そんな歴史を偲びながら、私は夕刻まで、この橋の袂でボンヤリと時を過ごした。紅に染まる夕焼けの中にたたずむ昇開橋は、これまたなんとも言えない存在感を放っていた。地元住民の熱心な運動の末、幸福な余生を送る昇開橋。かつての近代化のパワーを物語りながら、これからも“地域の顔”として多くの人々に愛され続けることだろう。
取材・文/前田 信次
DATA
(問) 筑後川昇開橋観光財団 TEL:0944-87-9919
筑後川昇開橋の所在地
佐賀県佐賀市諸富町大字為重~福岡県大川市大字向島若津
時間:9時~16時。橋梁が降下したときのみ対岸への歩行が可能
料金:無料
休日:月曜(祝日の場合は翌日)
駐車場:あり
※自転車・バイク・ペット連れの通行は不可
※ 悪天候の場合は閉鎖することがあります。
【アクセス】九州道八女ICから約30分、長崎道佐