九州遺産の旅

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通潤橋 [熊本県山都町]

150年の風雪に耐えて尚美しい 石積と放水のダブルアーチ

緩やかな曲線のフォルムを描く優美なたたずまい。その構築の精緻さと、自然石による石積の造形美に驚嘆しないものはいないであろう。そして、石橋の中央から轟音と共にほとばしり出る、雄大な2本の水のアーチが、さらにその姿を彩る。ここは熊本県山都町、肥後の石工の最高傑作との呼び声高い、『通潤橋』である。全長79.64m、橋幅6.65m、橋高21.43mにも及ぶ国内最大規模の石橋で、橋の上に石造パイプを3列並べた通水管を通し、水を渡す水路橋である。

通潤橋この橋が架かる以前、矢部郷の白糸台地は、周りを川に囲まれていながら、深い谷にはばまれ、水の乏しい土地であった。この恵まれない村々をなんとか救済しようとして立ち上がったのが、矢部手永の惣庄屋・布田保之助である。彼はまず、谷を超えて6kmも離れた笹原川から水を引き、新田を造成しようと考えた。そして種山石工(※注1)の手により建造された砥用町(現美里町)の『霊台橋』(注2)を研究し、石橋による台地への架橋の現実性を確信。さらに壊れた雨トイから水が吹き上がるのを見て、「連通管方式」の水路を考案し、これを敷設した石橋の建設に取り掛かるのである。

嘉永5年12月に着工、1年8ヶ月を経て、保之助の指導の下、種山石工をはじめ矢部郷の多くの農民の辛苦を伴いながらも、一人の犠牲者も出すことなく、橋は見事に完成した。落成当日、保之助は紋服に威儀を正し、懐に刀を忍ばせて橋の中央に端坐し、「この橋座り申さば、腹切りてお詫び申し候」という決意で現場に立ち会ったと伝えられている。通潤橋資料館やボランティアガイドの詳しい説明を見聞きして橋を眺めると、架橋に携わった多くの人々の熱い想いが伝わり、感慨深い。

通潤橋を通う豊かな水は、150年経った現在も、白糸大地の100haの水田を潤し続けている。橋から少し足を延ばすと、50mの高さから流れ落ちる五老ヶ滝や、「日本の棚田百選」に選ばれた菅迫田の棚田などが点在し、雄大な自然や景観が楽しめるのもいい。

取材・文/前田 信次

※注1 種山石工(たねやまいしく)
藤原林七を始祖とし、幕末から明治にかけ、種山村 (現熊本県東陽村) を本拠地に活動した石工集団。岩永三五郎や橋本堪五郎といった名工を輩出し、旧皇居二重橋や日本橋、万世橋も種山石工の業績である。

 

※注2 霊台橋(れいたいきょう)
緑川本流の最大の難所船津峡に架けられた日本最大の単一アーチ橋。弘化4年(1847)に時惣庄屋篠原善兵衛の下、地元峠原の大工棟梁の伴七、種山石工の卯助兄弟が建造した。霊台橋

 

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