九州遺産の旅

青の洞門 [大分県中津市]

九州最大級の断崖絶壁に刻まれた手掘りの隧道

1、秀峰と青の洞門メイン江戸時代の漢学者・頼山陽が「天下に比類なき絶景」と驚嘆した景勝地・耶馬渓に、総延長144m全てが手掘りという珍しい隧道(トンネル)がある。かの菊池寛の小説「恩讐の彼方に」の舞台として一躍有名になった、「青の洞門」である。

この洞門が掘られたのは、今から約250年前。その当時、この地は「鎖渡し」と呼ばれ、年間十数名もの人が命を落とす大変な難所として恐れられていた。ある時、また旅人が転落死したところに、偶然旅の僧が通りかかった。名を禅海といい、元は武士であったが、過って人を殺してしまったことから仏門に帰依し、諸国を行脚しながら衆生救済の道を模索していたのである。村人から事情を聞いた禅海和尚は、遭難者の弔いを済ませると「鎖渡し」を訪れ、ここに隧道を突いて安全な道を造るという大願を発する。これこそ自分が求めていた人々の救済の道なのではないかと考えたからである。

その日から、和尚は独り、槌とノミを持って固い岩壁を削り始めた。来る日も来2、国道と旧道る日も、和尚は岩壁を打ち続ける。そんな和尚の姿を、はじめは村人達も嘲笑っていた。それでも和尚の信念が揺らぐことはなく、独り何年も掘り進むうち、それまで見向きもしなかった村人達が、一人また一人と、次第に掘削を手伝うようになっていった。そしてついには村人総出での大事業となったのである。

宝暦13年(1763)、ついに洞門は貫通。全通までに要した年数は、実に30年余とも伝えられている。“虚仮(こけ)の一念岩をも通す”とは、まさにこの禅海和尚の行為そのものを指す言葉ではなかろうか。

秋は「青の洞門」周辺が紅色に輝く絶好の季節。洞門の近くには、禅海和尚が逗留したと伝えられる羅漢寺があり、参道入口近くの「禅海堂」には、禅海和尚の遺品や、彼が使用した槌・ノミなどが展示されている。耶馬溪の紅葉狩りの途中に立ち寄って、禅海和尚がこの洞門に込めた熱い想いを、是非感じ取ってほしい。

取材・文/前田 信次

 

DATA

青の洞門

所在地:大分県中津市本耶馬渓町曽木

問い合わせ:中津市商工観光課 0979-22-1111(代表)

見学料:青の洞門、禅海堂の見学は無料。羅漢寺へのリフトは1人往復700円

交通:大分自動車道日田ICから国道212号線を約40分

 
筑後川昇開橋 [福岡県大川市・佐賀県佐賀市]

筑後川にそびえる、東洋一の可動式鉄橋

IMG_0206うららかに晴れ渡った3月のある昼下がり、私はふと思いついて九州道を北に車を飛ばした。八女ICからおよそ30分、たどり着いたのは、インテリア産業と古賀メロディのふるさととして知られる大川市。以前、読者から一枚の写真を貼り付けたハガキをいただき、ある特殊な橋がこの町あること知り、一度この目で見てみたいと思っていた。その橋の名は「筑後川昇開橋」。筑後川の河口に程近く、目の前にそびえる真っ赤な姿と青い空との美しいコントラスト。まさに“東洋一の昇開式可動橋”と呼ぶにふさわしい勇姿である。

戦前、この昇開橋が架かる以前の大川市と対岸の諸富町(現佐賀市)を結んでいたのは、唯一渡し船だけだった。陸路、長崎・佐賀方面から熊本方面に人や物資を運ぶには鳥栖を経由するしかなかった。そんな状況を打破するため計画されたのが、長崎本線佐賀駅と鹿児島本線矢部川駅(現瀬高駅)を結ぶ佐賀線である。一番の難所は、大小の船舶が往来する筑後川。そこで、航行する船舶を妨げずに鉄道を通すために採用されたのが、橋桁がエレベーターのように昇降する昇開橋である。この方式の橋なら、船が通る時に橋桁を上げれば鉄道の敷設が可能だった。

昭和10年、架橋とともに佐賀線は営業を開始。昇開橋の活躍で、佐賀線は肥後・筑後と佐賀を結ぶ大動脈として大きな役割を果たした。しかし高度経済成長後、モータリゼーションの波には逆らえず、昭和62年、佐賀線は廃線。昇開橋も鉄橋の役目を終えた。しかし大川市・諸富町両岸の住民や全国の鉄道ファンなどにより、地域のかけがえのないシンボルであるこの橋を存続させよういう機運が高まり、平成8年、かつての鉄道橋は、「筑後川昇開橋遊歩道」として整備され、現在に至っている。

そんな歴史を偲びながら、私は夕刻まで、この橋の袂でボンヤリと時を過ごした。紅に染まる夕焼けの中にたたずむ昇開橋は、これまたなんとも言えない存在感を放っていた。地元住民の熱心な運動の末、幸福な余生を送る昇開橋。かつての近代化のパワーを物語りながら、これからも“地域の顔”として多くの人々に愛され続けることだろう。

 

 
取材・文/前田 信次

 

DATA

(問) 筑後川昇開橋観光財団 TEL:0944-87-9919

筑後川昇開橋の所在地

佐賀県佐賀市諸富町大字為重~福岡県大川市大字向島若津

時間:9時~16時。橋梁が降下したときのみ対岸への歩行が可能

料金:無料

休日:月曜(祝日の場合は翌日)

駐車場:あり

※自転車・バイク・ペット連れの通行は不可

※ 悪天候の場合は閉鎖することがあります。

【アクセス】九州道八女ICから約30分、長崎道佐

 
西都原古墳群 [宮崎県西都市]

菜の花と桜に彩られた日本最大級の古墳群

かなり昔のことだが、某ビール会社のCMで、見渡す限りに黄色に染まった菜の花をバックに、俳優・仲代達矢が旨そうにビールを飲むシーンがあったのを覚えていらっしゃるだろうか?余りにも鮮やかに黄金色に輝いていたあの美しい菜の花畑。今も鮮明に私の脳裏に焼きついて離れないあの風景を、いつかは直にこの眼で見てみたいと思っていた。

その憧れの風景が、今、まさに私の目の前に広がっている。見渡す限り広がる三十万本の菜の花と、二千本の桜の花との協奏曲(コンチェルト)。美しい早春の花々に彩られた古代遺跡、それがここ『西都原古墳群』である。

西都原古墳群は、宮崎県のほぼ中央に位置する西都市の西方を南北に走る日本最大級の古墳群である。「古事記」「日本書紀」から語り継がれる天孫降臨(てんそんこうりん)神話で有名な、瓊瓊杵命(ににぎのみこと)の御陵とされる男狭穂塚(おさほずか)や、その妻・木花開耶姫(このはなさくやひめ)の御陵とされる女狭穂塚(めさほづか)をはじめ、大小さまざまな古墳三百十一基が点在している。咲き乱れる菜の花の中に、まるでUFOが軟着陸したように浮かんでいるのは、『鬼の窟古墳』(おにのいわや)と呼ばれる横穴式石室古墳。木花開邪姫に恋した鬼がこの窟を作ったという伝説が残っている。

そんな古代ロマンに満ちた古墳群が、毎年春になると満開の菜の花や桜の花に埋もれる。そして大部分の古墳は、美しい花々に埋もれながら、いまだ発掘されないまま、多くの謎を秘めつつ千数百年の時を眠り続けているのである。うららかな春の陽光を浴びながら、古墳群の中に佇んでいると、遙か神話時代の美しい日本の姿に想いを馳せずにはいられない。

敷地内には、「古事記」「日本書紀」にちなんだ神話の場所をたどる『記・紀(きき)の道』が整備され、悠久の時の流れを感じながら散策することもできる。隣接する西都原考古博物館や古代生活体験館で、古代人たちの息使いを感じてみるのも楽しい。

取材・文/前田 信次

DATA

西都原古墳群

(問) 西都市観光協会 ・0983-43-1111

【URL】http://www.kanko-saito.ecnet.jp/

(料)無料

【アクセス】九州自動車道西都ICから約5km

 

 

 
嘉穂劇場(かほげきじょう) [福岡県飯塚市]

三度の被災を乗り越えて蘇った伝統の芝居小屋

嘉穂劇場メイン外観  八木山峠を越え、繁華街にある小さな路地へと迷い込むと、突然目の前に、色鮮やかな招き絵や芝居看板が並ぶ異空間が現れる。まるでタイムスリップしたかような歴史を感じさせる建物。ここは、飯塚市にある「嘉穂劇場」。九州でわずか2つしかない、木造の芝居小屋である。

嘉穂劇場は、大正11年、大阪道頓堀の「中座」を模して建てられた「飯塚中座」がその前身。現存する建物は、昭和6年、伊藤隆によって再建されたものである。

「当時の飯塚は全国でも有数の石炭の産地で、今でいえば産油国の都みたいなところですね。最盛期には、川沿いに40を超える芝居小屋が建ち並んで、それはそれは大変な賑わいでした。炭鉱主や坑夫が毎日沢山押し寄せて・・・。芝居は、飯塚では最高の娯楽だったんですよ。」

と語ってくれたのは、管理人の伊藤真奈美さん。さすがに創設者・伊藤隆氏の血を引く方、劇場の案内も堂に入っていて頼もしい。

栄華を極めた飯塚の街も、戦後は容赦なくエネルギー革命の波にさらされた。炭鉱は衰退の一途をたどり、一軒また一軒と、劇場も姿を消し、ついには嘉穂劇場のみとなってしまう。さらに追い討ちをかけたのが、平成15年7月に北九州を襲った集中豪雨。嘉穂劇場も壊滅的な被害を受け、廃業寸前まで追い詰められた。

嘉穂劇場館内しかし被災後、廃業を惜しむ全国のファンから多くの義援金が寄せられ、地元財界や県、市なども募金活動を開始。NPO法人として再建の道が開かれ、日本宝くじ協会や日本小型自動車振興会による補助、さらには、芸能界のトップスターたちによる復興支援イベントなどが功を奏し、平成16年9月、ついに劇場は創建当時の姿で蘇ったのである。

現在は、芝居だけでなく、歌謡ショー、プロレス、サーカス、地元学生の演劇大会など、上演されるジャンルも幅広い。最近では、椎名林檎のプロモ撮影が行われたり、松平健が「暴れん坊将軍」を演じたこともあるとか。再建後も、多くの市民や劇場ファンに愛され続ける嘉穂劇場。公演がない時には、館内をゆっくり見学することができ、2階の嘉穂劇場の歴史を振り返るコーナーで、激動の時代を生き抜いた人情味あふれる劇場の雰囲気を味わってみるのもまた楽しい。

取材・文/前田 信次

 

DATA

嘉穂劇場

福岡県飯塚市飯塚5番23号 TEL 0948-22-0266

【劇場見学】見学料:1人300円(劇場前駐車場100円/30分)

【休館日】1月1日、12月31日及び公演日

※公演の前日など、見学できないこともあります。

【アクセス】

車)九州自動車道福岡IC~八木山バイパス(有料)経由で約30分、国道200号線経由で50分、JR)博多駅~篠栗線・筑豊本線飯塚駅下車後、徒歩15分

 

 
三井三池炭鉱 万田坑跡 [熊本県荒尾市]

日本の近代化を牽引した 炭坑マンたちの夢の跡

万田坑 1「昭和22年頃が最盛期だったですね。その頃は、約3500人もの人が働いていて、それはもう、大変な賑わいてした。でも、だんだん値段の安い輸入石炭に押されていって・・・。値段が国産の三分の一だったですからねぇ・・・。で、昭和29年には、あそこに建っていた第一竪坑櫓が解体されて、平成9年に閉山してしまいました。もしあの櫓が残っていたら、もっとすごい遺産になっていたんですけどねぇ・・・」

ここは三井三池炭鉱 万田坑跡。旧三井財閥が総力を挙げて整備し、大正~昭和の約百年を通して日本の殖産興業を牽引した、我が国最大の炭鉱である。お話を伺っているのは「万田炭坑館」のボランティアガイド・高橋さん。かつて、ここ万田坑で使用されていた機械を製作されていた方だ。その訥々とした語り口は、まるで万田坑の最盛期の世界へ引き込むような臨場感で、私の心に迫ってくる。目の前にそそり立つのは、万田坑のシンボル・第二竪坑櫓。満身創痍で佇むその姿は、さながら立ち往生した巨人のようにも見える。

さっそく高橋さんの案内で坑内へ。第一竪坑跡、第二竪坑、汽罐場跡、坑内トロッコ軌条、炭函・・・。どれをとっても、わが国の炭鉱の歴史を知る上で非常に貴重な遺産である。普段は鍵が掛かっている巻揚機室の中にも入らせてもらった。

巻き上げ機

巻揚機

「どうです、これが三井三池製作所製の巻き上げ機です。蒸気で動かす巻き上げ機も残っています。こんな古い機械が残っているのは、日本でもここだけですよ。」

と、誇らしげに語る高橋さん。直径8㎝もあろうかという太いワイヤーをまとった重厚な巻揚機が、いまにも動き出しそうな気配で鎮座していた。巻揚機室を後に向かったのは第一竪坑跡。第二竪坑の二倍の大きさを誇り、三井三池で最初の総鋼鉄製の櫓は、昭和29年に解体され、北海道の芦別で第二の人生を送ったが、既にスクラップになって久しいという。

荒尾の町と共に年を重ね、いまは静かなまどろみの中朽ち果てつつある万田坑。我が国の近代化の礎を築いた夢の跡を歩くと、石炭産業の全体像とその悲しい終焉を、しみじみと実感できた気がした。

取材・文/前田 信次

 

三井三池炭鉱 万田坑跡

荒尾市原万田213番地31  TEL 0968-64-1300 (万田炭坑館)

(料)見学者1人につき200円

※万田坑ファンクラブの立会い・ガイド付き。見学予定日の1週間前に要予約

【アクセス】

JR鹿児島本線荒尾駅下車、車で約10分、九州自動車道南関ICから県道荒尾南関線(県道29号)を通り車で約30分

 

 
JR門司港駅 [福岡県北九州市]

門司港レトロのシンボルとして愛され続ける、九州最古のモダンな駅舎

1、門司港駅外観異国情緒溢れる街並みが人気を呼び、全国から200万人もの観光客が訪れる門司港レトロ。その中心となっているのが、九州最古の歴史を持つ「JR門司港駅」である。

左右対称のネオ・ルネッサンス様式のモダンな建物。鳥が翼を広げたような外観。高い天井、太い円柱、窓枠の優美な彫刻。大規模な改修が一度も行われていないにもかかわらず、時代を経ても色褪せないその造形美には驚嘆させられるばかりである。

門司港駅が完成したのは大正三年(1914年)。門司は繁栄を極めていた。北九州工業地帯の生産力が増すにつれ、門司港は大陸貿易の拠点となり、横浜や神戸と並ぶ貿易港にまで発展。大手商社・海運会社・銀行などが相次いで進出し、競ってハイカラなビルを建設した。欧州航路の寄港地にもなり、商店には舶来品が並び、ジャズが演奏され、ガス灯が点り、大正モダニズムの熱気が街中に渦巻いていたという。

しかし終戦後、中国の共産化と共に大陸貿易は激減。1942年に関門橋、1958年に関門国道トンネル・新幹線などが相次いで開通、門司港は高度成長から取り残され、街は衰退の一途を辿った。歴史的な建造物も潮風に曝されて風化し、その荒廃ぶりは目を覆うばかりであった。

その惨状を救ったのが、1988年から北九州市が取り組んだ「門司港レトロ事業」である。港湾地区に点在する歴史的建造物を活用しながらウォーターフロントの整備を進め、都市型観光拠点として見事に再生させたのである。それにしても歴史は皮肉なものである。高度成長に乗り遅れ、置き去りにされたことが門司港に幸いしたのだ。多くの歴史的建造物が壊されずに残っていた。その“近代の化石”ともいえる建築群が、貴重な資本となって「門司港レトロ」の基礎をなし、「門司港駅」の存在をさらに輝かせたのである。

そんな新しい観光地の顔として再出発した門司港駅。これからも、幾多の歴史の変転をその身に深く刻み込みながら、多くの旅人に愛され続けることだろう。

 

門司港ホテル 0哩標

取材・文/前田信次

DATA

JR門司港駅

TEL 093-321-8843 【住所】福岡県北九州市門司区西海岸1-5-31

【アクセス】九州自動車道門司ICより8分、北九州都市高速道路春日ランプより5分

 

 

 
原次郎左衛門家のお雛さま [大分県日田市]

天領・日田の地で異彩を放つ マニア垂涎の雛人形の数々

お雛さま愛好家にとって、日田はメッカと呼ぶべき存在である。今や早春の風物詩となった九州各地の「おひなまつり」は、昭和59年、ここ日田の「天領・日田のおひなまつり」から始まった。その日田に数あるお雛さまの中で、ひときわ異彩を放っているのが、原次郎左衛門家のお雛さまである。

次郎左衛門雛

次郎左衛門雛

原次郎左衛門家は、明治32年から代々味噌醤油蔵を営む老舗。当主は第十四代・原次郎左衛門正幸さん。日田市の文化財調査委員でもあり、無類のお雛さま愛好家でもある。雛人形についての造詣も相当深い。

「平成10年に、私と同じ名前を持つ“次郎左衛門雛”の名品を、東京の雛人形研究家を通じて手に入れたのが、お雛さまを集め始めるきっかけでした。“次郎左衛門雛”は、雛人形の本流と言われ、数が非常に少なく、雛マニアに一番見たがっている雛人形なんです。それを手に入れて以来、お雛さまに魅せられて、色んな時代の代表的なお雛さまを集め続けています。今では雛人形研究家から、九州一のお雛さまというお褒めの言葉もいただいています。」

と、熱っぽく語る原さん。秘蔵のお雛さまは、古今(京都産・江戸産)、有職、享保の雛、次郎左衛門雛が座雛・立雛合わせて五組、御台人形、天児人形等々、全国でも指折りの驚くべき逸品・優品が一堂に会している。今年また新たに、四つの雛壇飾りや古今雛なども展示される。敬服するのは、これらが当家の伝来品でなく、近年の収集品であることを明確に表記されている点だ。そのうえで雛人形

享保雛

享保雛

の歴史を考える際に重要な品をしっかりと押さえ、観光客はもちろん、雛マニアにも充分に満足いくコレクションになっている。

展示会場は、懐かしい味噌の香り漂う蔵の一角。じっくりとお雛さまを愛でた後は、さりげなく振る舞われるオリジナルの「味噌クッキー」をいただいたり、味噌や醤油、人気商品「虹色ラムネ」の製造工程を見学したりするのもいい。

取材・文/前田信次

 

 

DATA

原次郎左衛門家 (原次郎左衛門味噌醤油蔵)

TEL 0973-23-4145 【住所】 大分県日田市中本町5-4  【アクセス】大分自動車道日田ICから約7分

 

 
九州国立博物館 [福岡県太宰府市]

日本文化の形成をアジア史的観点から見つめ直す、九州初の国立博物館

太宰府天満宮から続く森の中を抜けると、眩しく輝く近未来的な建造物が忽然と姿を現す。まるで最新のスタジアムを思わせるその姿に、私は軽い驚きさえ覚えた。ここは「九州国立博物館」。東京・奈良・京都に次ぐ四番目の国立博物館で、九州初の開館である。

1、外観(メイン) この地に「九州国立博物館」が開館するに至ったきっかけは、明治32年、日本美術の復興に尽力した岡倉天心(※注1)が発した「古代美術の点よりすれば、九州に於いて九州博物館設立の必要を認む」という一言であった。爾来、実に百年以上の長きを経て、アジアとの交流の歴史に焦点をあてた、新しい時代の博物館が誕生したのである。

波打つ屋根に総ガラス張りの壁面という尖鋭的なデザイン。ジャンボジェット機2機が納まるという巨大さは、やはり尋常ではない。一階にはアジア文化体験エリアやミュージアムホール、二階には収蔵品や保存修復のための施設、3階では古今東西の選りすぐりの文物を蒐集した特別展が開催され、4階は日本の対外文化交流を通史で見ることができる常設の文化交流展示室となっている。

展示品は、宮地嶽古墳出土品や沖ノ島遺跡出土品など、国宝・重要文化財を多数含む約八百件。収蔵庫や研究室などをガラス張りにすることにより、希望者はバックヤードツアーで保存や修復の様子が見学でき、既存の博物館にはない大変新鮮な印象を受ける。また、一階にある「あじっぱ」では、日本の歴史の中で交流のあったアジアやヨーロッパの国々の生活文化を体験できる。各国の民族衣装を試着できるのも面白い。

動く歩道とエスカレーターのアクセストンネルを使えば、わずか4分で太宰府天満宮へと到着。日本・アジアの文化と歴史を体中に感じた後は、太宰府天満宮の参道で、名物の梅ヶ枝餅食べたり、昔ながらの門前町を気ままに散策したりするのもいい。

取材・文/前田信次

※注1 岡倉天心(おかくら・てんしん)
横山大観、菱田春草など近代を代表する日本画家を育てた美術界の先駆者。日本美術院の創設者で、九州博物館設立を提唱。アジアの文化・思想を世界に発信し、代表作「東洋の理想」冒頭の「アジアは一つ」は有名。

DATA

九州国立博物館

福岡県太宰府市石坂4-7-2  TEL0570-008886(ハローダイヤル)

(営)9時30分~17時(入館は16時30分まで) (休) 月曜日(祝日・振替休日の場合は翌日) (料)大人420円 高校生・大学生130円

(アクセス)西日本鉄道太宰府駅下車後、徒歩10分。九州自動車道太宰府IC・筑紫野ICから高雄交差点経由で20分

 

 

 
耶馬溪橋(オランダ橋) [大分県本耶馬溪町]

先人の技と心が息づく 八連アーチの美しい石橋

訪れる者を圧倒する荘厳な渓谷美を誇る大分県・耶馬渓エリア。その表玄関である中津市本耶馬渓町の景勝地・競秀峰の麓を山国川沿いに走ると、やがて優美な石橋の姿が見えてくる。

1、耶馬溪橋 メインその橋の名は「耶馬溪橋」。山国川周辺地区の観光・生活道路整備の一環として大正9年から12年にかけて、村人らの寄付により架橋された。形式はわが国唯一の八連石造りアーチ橋。どこか懐かしさと優しさを醸し出すこの橋が自然に溶け込んだ景観は、実に見事だ。当時、長崎県で多く見られた平行布積み方式の工法を採用したこともあり、別名「オランダ橋」とも呼ばれている。美しい弧を描く八連アーチ橋の全長は116m、幅員は3.5m。アーチ数と橋長の規模はともに日本一。規則正しく並ぶ輪石や壁石に、かつての精緻な石工技術がうかがえる。上流約5.3kmに架かる「馬溪橋」、同約1.3kmに架かる「羅漢寺橋」と合わせて「耶馬三橋」と呼ばれ、昭和56年には県指定有形文化財に指定されている。

大正12年にこの橋が架かるまでは、青の洞門がある樋田地区と、山国川対岸の曽木地区とを結ぶ交通手段は、渡し船か遠回りして堤防を歩くしかなかった。そのため、「大雨で川が増水したら、曽木には渡れん。親の死に目に会えんから、曽木には嫁をやるな」とまで言われた悲惨なエピソードが残っている。

架橋以来「耶馬溪橋」は、幾多の風水害にも耐え忍んできた。しかし昭和19年の大洪水では橋面の高欄が流失するという大きな被害を受け、一部コンクリートによる修復が行われていたが、平成8年に新たなひび割れなどが確認され、非常に危険な状態であった。新たな修復方法を決める際には、石橋の権威者や県文化課らが協議をし、大正時代の写真を参考に昔ながらの姿のまま残されることとなった。

架設から年近い時が流れ、建築資材は石から鉄筋コンクリートへと移り、石工も激減してしまった現代。しかし、時は流れても「耶馬溪橋」の威厳に満ちた美しさは、大分の石工の技術の高さを後世に伝え続けることだろう。

取材・文/前田信次

※平成24年7月の九州北部豪雨の影響で、馬溪橋のみ通行制限あり(観覧は可能)

DATA

耶馬溪橋

所在地:大分県中津市本耶馬溪町

問い合わせ: TEL0979-22-1111 (中津市観光課)

<アクセス>

車)大分自動車道玖珠ICから国道387号を北へ2km、県道28号に入り20.3km、国道212号に入り2km

 

 

 
平尾台 [福岡県北九州市]

三億五千万年の時が創った 地球の神秘を物語る自然のオブジェ

「日本三大カルスト高原」というのをご存知だろうか?山口県の「秋吉台」、高知県愛媛県に広がる「四国カルスト」、そして北九州の「平尾台」である。今回紹介する平尾台は、南北約6km、東西約2kmと、広さでは秋吉台に及ばないものの、長さでは日本一のカルスト台地(注1)なのだ。

平尾台 メイン平尾台は、約3億5千万年前、赤道付近の海底のサンゴ礁などが堆積し、大陸プレートの移動で北九州付近に浮き上がって形成されたという。ピナクル(注2)と呼ばれる無数の石灰柱、ドリーネ・ウバーレ(注3)と呼ばれる窪地、石灰洞・鍾乳洞などが200以上も存在する。平尾台に足を踏み入れたら、まずは、台地の中央付近にある「茶ヶ床園地」や「見晴らし台」からの景観を楽しんでみたい。見渡す限りの草原の台地に、丸みを帯びたピナクルが群立し、白く輝く山肌。あたかも羊が草原で草を食んでいるように見えることから「羊群原(ようぐんばる)」と呼ばれている、カルスト台地を代表する風景のひとつである。その先の中峠付近では、石灰岩にマグマが嵌入してできた「鬼の兵古干し」「鬼の唐手岩」などの奇岩が見え、さらに足を伸ばせば、環境庁が絶滅危惧種に指定する湿原性植物のサギソウ、ノギソウ、ノハナショウブなどが自生する「広谷湿原」がある。

こう書いていくと、平尾台は大自然の宝庫のように思えるのだが、実は人の手で厚く保護されている“里山”である。毎年2~3月に行われている“野焼き”は、貴重な草原の植生を維持するために行われ、多数のボランティアが参加しての一大行事となっている。

4、千仏鍾乳洞平尾台に隣接して「千仏鍾乳洞」や「牡鹿洞」などの観光洞がある。洞穴の中の温度は16度くらいとほぼ一定しており、オールシーズン楽しめる。他にも、新たに発見された「青龍窟」のような非観光洞に入るケイビング(洞窟探検)という楽しみ方もあり、興味のある方は、自然観察センター問い合わせて、チャレンジしてみるのもいいだろう。

 

取材・文/前田信次

 

 

DATA

平尾台

(住)福岡県北九州市小倉南区新道寺

(問) 平尾台自然観察センター TEL093-452-3739

アクセス

車)九州自動車道小倉南ICから約20分

JR)小倉駅からバスで約60分

協力・平尾台自然観察センター

(注1)カルスト台地
石灰岩からなる土地が雨水によって浸食されてできた台地。浸食によって独特の地形が発達している。因みにカルストとは、スロヴェニアの一地方の名前。

(注2)ピナクル
カレン・カレンフェルト・残存石灰岩ともいう。本来は石灰柱のことを指すが、広い意味で使われることが多い。地表に現れた石灰岩は、侵食によって様々な形をしている。

(注3)ドリーネ・ウバーレ
ドリーネとは石灰岩の地面が溶食によって陥没してできた漏斗状になった窪地のこと。ポノールと呼ばれる吸い込み口から地下川に落ちることがあり、近づくと危険だ。ウバーレとはドリーネが拡大し、二つ以上連合したものをいう。

 

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